東北のさくらの名所、岩手県北上展勝地さくらまつりでは、毎年およそ300匹の鯉のぼりが雄大に大空を舞います。
色とりどりの鯉のぼりは、これまで「北上川に鯉のぼりを泳がせる会」によって継承されてきました。
今年からは北川市役所観光課に引き継がれ、美しい桜並木を華やかに演出しています。
実はそのなかに「なまずのぼり」が泳いでいるのをご存知でしょうか。
染物屋さんに特注したおよそ3mのなまずのぼりは20年前から加わりました。
「なまずのぼり」を寄付された「喜乃字」店主さんによると、昨年までは本店でナマズ料理が食べられたそうです。
旧メニュー表には、ナマズコース料理、刺身天麩羅などの単品料理のほか、ナマズの栄養表が添えられていました。
驚いたことに、こちらでは、最近までナマズの養殖をされていたそうで、
50年ほど前に、アメリカから日本へ渡ったナマズの稚魚を購入し、
田んぼや冷たい水など温度設定や環境を変え試行錯誤したのだとか。
苦労の末、温泉を使用し低めに設定した環境下で育てた結果、やっと短期間で身のしっかりとしたナマズが育ったといいます。
現在、ナマズ料理は食べられませんが、長年の努力の結晶となったナマズ料理のメニュー表(本店)の掲載許可をいただきました。
もともと東北地方による日本のナマズの生息域は、自然分布によるものではありません。
近世期以降の移植によって、分布域が拡大されたと考えられているからです。
たとえば、天保末に山形県最上川下流での確認、明治20年頃に青森県に移植(秋田)などの報告がみられます。
ナマズにまつわる説話についても福島県にみられますが、これはナマズの親戚筋のギギやギバチのことですし、
岩手県についても、ほんのわずかな説話しかありません。こうしたナマズの民俗継承は、
気温などの影響が非常に深く関わっていたように思われます。
ところで、なまずのぼりの後には、うなぎのぼりも制作されました。市役所の担当の方によると、
今年は劣化がみられ、残念ながら飾ることができなかったのだそうです。今回たくさんの方々にお世話になりました。
「なまずのぼり」の位置が写真の取りやすい場所に飾られていてとても有難かったです。
参考文献:
滋賀県立琵琶湖博物館編『鯰―魚と文化の多様性―』2003年
三春町編『三春町史』1980年
『農民生活変遷中心の滝沢村誌』1974年など
鯰にまつわる伝承については、これまで西日本地域の事例を多くご紹介しました。
関連書籍や文献などおよそ200件のなかでも、比較的東日本地域は鯰伝承が少なく、
とくに東北地方には民話14件、伝説12件、俗信5件ほどしかありません(2022年6月現在)。
内容も重複した傾向にあり、鯰は主人公というより脇役の印象です。
そこで今回は、東北地方の要石と鯰についてのお話させていただきます。
これまでにご紹介した東北地方の要石は二件ありましたが、そのうち、
加美町鹿島神社の要石は、常陸鹿島神宮の要石に伝わる信仰(この国をゆるがす鯰(地震)を
要石で抑える)を模したものです(『宮城県史』)。
昭和48年に川沿いから移動し、地震よけとして往古の要石と共に境内に祀られました。
もう一つの仙台市青葉区にある鹿島香取神社の要石には、後年になり常陸鹿島神宮の要石信仰が
付随しています。というのも『仙台伝説集』(1951年)によると、
要石が地震を抑えるものであると認識されていたことがよくわかるのですが、
鯰を想定した内容ではありません。
昔奥州に七日七夜にわたる大地震発生時に、鹿島の大神が天から三つの大石を降らして、揺れをしずめたという伝承があります。その三つの大石を要石(子供のセリ咳の神と信じられていた)と伝わるが、今は三つとも石は見られなくなった(『仙台伝説集』1951年)。
一方で『宮城県史』には下記のような記載がみられます。
太古常陸の鹿島から飛来したという七つの大石が点在し、これを地震よけの鹿島の要(かなめ)石と称した(『宮城県史』1973年)。
このように「常陸の鹿島」と掲げることで、鯰が地震として認識していたと捉えられます。
そもそも鯰に地震のイメージがあるのは、豊臣秀吉が、天正地震(天正13年)を坂本城で経験し、
前田玄以に宛てた書状(文禄元年)に端を発しています。
ですが、天正地震前のイメージはどうかといえば、豊臣秀吉やその周囲の武将たちにとり、
近畿地方(とくに竹生島、京都周辺地域)のナマズについては、神性を見出していました。
たとえば、前回お話した、蒲生秀行の行った只見川の毒流しについては、
南方熊楠氏が「その後、蒲生の家三代が短命続きだったのは、柳津の神魚を毒殺せんとし、
只見川の多くの生物を殺した報いだ」と述べているのはそのためと考えられます。
南部家に伝わる「黒漆塗燕尾形兜」(岩手県立博物館所蔵)は、蒲生氏郷の養妹が、
南部利直に嫁ぐ際に氏郷着用の兜を引出物として持参したものですが、
その形から燕尾形兜と呼ばれていても不思議ではないのに、
南部家ではあえて代々「鯰尾兜」と呼んでいたといいます。これは「鯰尾兜」の存在を通した、
ある種の鯰信仰で結ばれていた証でもあるのです。
東北地方に鯰伝承が少ないのは、東北地方についてのナマズが近代以降の移植によって
分布域が拡大されたことと関係しています。
つまり、ナマズの生体が地域に馴染みがないこともその要因の一つといえるのです。
秀行についても、ナマズが生息したことを認識していなかったかもしれませんし、
銀魚(ギギ)とは区別して捉えていたのかもしれません。
西日本の地域では、とくにナマズを殺生することは罪深いとする地域が散見されます。
幼少の頃、修行僧として京都で過ごしていた秀行が、鯰尾兜で知られる父、氏郷の
影響を受けていないとは考えにくく、課題や疑問は残りますが、少なくとも、
東北地方には近代以降、ナマズの移植とともにその民俗も北上し、要石信仰に付随したのです。
そして神性は次第に薄れていったと考えられます。
今回は、東北地方のナマズとギギについてのお話です。
東北地方におけるナマズにまつわる民話や伝説は、岩手県、福島県、宮城県の三県に12種類あり、
俗信は、岩手県、秋田県の二県に3種類あります(※1)。(2022年6月現在)
分類すると、主に3つの型[①動物とナマズの説話、②ナマズで儲ける人の説話、③
水神の説話(恩返しナマズ・祟り神ナマズ)]に分けられます。
前回お話した、福島県の伝説「斎藤の銀魚淵」は③水神の説話に属します。
「銀魚」は、ナマズの仲間であるギギやギバチのことをさしますが、
この地域では同種のものとして語り継がれています。一方、岩手県の伝説では、
ナマズと銀魚(ギギ)は区別されていました。
下記は概要です。
土沢の細谷地に底なし沼があった。周囲には柳や芦などが
叢生していて水面を覆い気味の悪い所だった。ある年の盆
に平蔵沢、土沢の青年たちが山椒の木の皮を日盛りの天日
で乾かしていたところに旅僧が現れ、生き物を殺してはい
けないと戒めた。しかし、青年たちは赤飯を与えるだけで
とりあわなかった。翌日山椒の皮の粉を沼に流すと、鮒、
すずもろこ、鯰、銀魚、ごまうなぎが捕れた。料理すると
うなぎの胃から赤飯が出てきた。食べた者は永く病んで死
者も出た。旅僧は古鰻で慈悲を解いたのだと、人々は噂し
合った(「そこなし沼—ごまうなぎ-」。)」
この説話にある、土沢の細谷地の「底なし沼」は現存していません。
地域の方のお話によると、この地域は湿地帯で沼がいくつかあるが、説話が語られている沼はないそうです。
ところで、「そこなし沼—ごまうなぎ-」に登場する土沢の青年たちが、ナマズや銀魚(ギギ)やうなぎを獲るために山椒の皮の粉を沼に流したとありますよね。これは、「毒流し」といって、水中に毒を流して魚を捕える漁法を示しています。水産資源保護法(1952年)により、現代ではこれらの行為は禁止されているのですが、古くは平安時代から行われていたと伝わります。
毒流しといえば、慶長十六年に蒲生秀行が行った「只見川の毒流し」は有名です。
下記は概要です。
秀行の命により「毒流し」を行う前日、村人たちは旅僧に忠
告されたものの、結局毒流しを行った。その結果、無数の川
魚が浮かび上がり、そのなかの大鰻の腹を割くと旅僧にあげ
た粟の飯がでてきたことで、あの男は旅僧に化けた大鰻だっ
たと分かった。その後、大地震や洪水に見舞われ、柳津虚空
蔵の舞台もこの地震で崩れ落ち、塔寺の観音堂も新宮の拝殿
も倒れ、翌年には秀行が早死をしてしまったので河伯龍神の
祟だと怖れられた。
ここで興味深いのが、「只見川の毒流し」の内容が、文献や時代によって一部に違いがあることです。
例えば、奇談集「老媼茶話」や「想山著聞奇集」では、蒲生秀行が只見川で毒を流すことに対して、
旅僧に化けたのは鰻としています。南方熊楠や柳田國男も、この「老媼茶話」について述べているので
「鰻」について語っています。
一方で、旅僧に化けたのは鰻ではなくナマズと記した文献や「魚」や「大魚」と記した風土記、
毒流しの結果うぐいだけは一尾も死ななかったことを記す町誌もあるのです。
ここでは山椒の皮の粉とありますが、研究史によると、毒流しに使用した漁毒は、
椿の実や柿の渋などが多種類あるようです。捕獲されるのも、ウナギ、アユ、ウグイ、
イワナ、コイなどの様々な水魚があり、そのなかにはギギも含まれていました。
ですので、奇談集、風土記、昔話により、鰻の化身がナマズでも、
神的なうぐいが語られるのも自然なことだと捉えられます。
では何故奇談集では鰻なのか考えました。柳田氏が「魚王行乞譚」のなかで、
東北における虚空蔵と鰻の関係についてふれているように福島県柳津の圓藏寺では、
虚空蔵菩薩像が祀られているからと思われます。虚空蔵菩薩の眷属は鰻です。
鯰伝承においては、福井県や三重県の虚空蔵菩薩が祀られている寺社では、
鰻とナマズを描いた絵馬が多数奉納され、古来、鰻とナマズは同じ水神と
して信仰されています。
ですが前回にお話ししたように、東北地方についてのナマズは、
自然分布の変換によるものではなく近代以降の移植によって分布
域が拡大されたものと考えられています。
つまり、生物のナマズとの歴史が浅く地域にも馴染みがないため鰻なのです。
そして、東北地方におけるナマズにまつわる民話や伝説には、ほかにも、
鯰が人間に化ける、ナマズの腹を割くと小豆飯がでてくるなど「只見川の毒流し」に影響を
受けている説話がみられることから、東北地方では、ナマズとギギと
鰻が絶妙な関わりを持つことがみてとれます。
余談ですが、ギギは、鳴く魚として知られています。
図鑑などによると、ギギはカエルのように鳴き、人が捕えると悲しげな声を出すそうです。
つまり、ナマズにまつわる民話や伝説のなかで、夜に沼を訪れナマズを持ち帰ろうとすると、
ナマズに呼びかけられ、人々が恐れを抱く様子みられますが、
その声は、ギギ特有の鳴き声であったのだと考えられます。
群馬県前橋市の「オトボウヤ、オトボウヤ」と泣くナマズの民話(『群馬県史』)や、
徳島県阿南市の白なまずの鳴き声の民話(『阿波の民話』)もギギをさしていると考えられます。
夜であれば沼や川のナマズやギギはみえませんから声だけが聞こえたら怖いですよね。
だからナマズはむかしから「恐ろしいイメージ」としても印象深いのですね。
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※1抽出方法
鯰にまつわる伝承を書籍、文献から収集(およそ200
件)。
⑴民話は、民衆によって伝えられてきた物語(架空の事柄も含)、⑵伝説は、固有名詞(実在する)のある説話、⑶俗信は、比較的根拠のないその土地にまつわる言い伝えの3つに分類(2012−2022年調)。
東北地方には、鯰の伝説があまりみられません。
鯰にまつわる民話や伝説を収集(※1)しますと、
岩手県、福島県、宮城県の三県に12種類の民話・伝説、岩手県、秋田県の二県に
3種類の俗信がみられるだけで、そのうち民話が大半を占めています。
今回ご紹介するのは、福島県田村郡三春町大字斎藤地域に伝わる鯰の伝説です。以下は概要です。
大滝根川にある7つの淵のうち、一番上にある銀魚淵で釣り
名人の左衛門が釣りをしていた。一匹も釣れずに昼飯になる
と白髪の爺が現われたので、左衛門は赤飯を与える。すると
爺は喜んで食べると姿を消した。その後、左衛門が昼寝をし
ていと狐に起こされたので竿をぶつけて追い払った。しばら
くして帰ろうと左衛門が釣竿を上げると、六尺もある銀魚が
上がってきたので村中が大騒ぎになった。しかし、銀魚の腹
を切裂くと赤飯が出たため、淵の主の銀魚があの白髪の爺に
化けたのだと、銀魚の頭を淵の近くに埋供養し、ここを銀魚
淵と呼ぶようになった「斎藤の銀魚淵」。」
この説話に登場する「銀魚」という魚は鯰の仲間で、ギギやギバチのことを示しています。
魚類図鑑をみますと、ギギはナマズに比べると尾ヒレが2叉し、
さらに脂びれをもち口ひげも4対8本で多く、ギバチも口ひげは8本で尾ヒレの切れ込みはないので、
厳密にいうと鯰とは少し形体が違うのですが、昔は鯰と同一視されていたようです。
生態学や動物地理学的研究からは、北海道や東北地方については、
自然分布の変換によるものではなく近代以降の移植によって分布域が拡大
されたものと考えられていることから、伝説や民話が少ないことにも関係していると考えられます。
実はしばらく、銀魚淵がどこの場所を指すのか不明でした。
そもそも銀魚淵と呼ばれている淵を知る人がほとんどいないのです。
ですが今回地元の方々とのご縁に繋がり、銀魚淵の場所を教えていただくことができました。
銀魚淵は、郡山駅から車でおよそ15分の県道57号から少し外れた斎藤地域、ダムの下流にあります
。
実際に訪れますと、散歩するのに快適な緑道で、とにかく緑の色が鮮やかでした。
銀魚淵は、大滝根川に沿って下った先にある淵を指すのですが、木や草花で川や淵の様子は道路からは見られません。
足場もない場所なので銀魚淵の写真は、少し先の路上から撮っています(降りるのは危険です)。
地元の方のお話によると、むかし大滝根川にはナマズもいて、銀魚淵ではギギ(銀魚)などがよく釣れたそうです。
現在は「斎藤の湯」の辺りまで下れば、銀魚の存在については不明ですが魚釣りはできるようです。
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※1抽出方法
鯰にまつわる伝承を書籍、文献から収集(およそ200件)。
⑴民話は、民衆によって伝えられてきた物語(架空の事柄
も含)、⑵伝説は、固有名詞(実在する)のある説話、
⑶俗信は、比較的根拠のないその土地にまつわる言い伝え
の3つに分類(2012−2022年調)。
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